1: (・ω・)/ななしさん

松田聖子 あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った


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神田沙也加さん(享年35)が18日に急逝して1週間になる。

出演していた舞台が25日から再開され、母の松田聖子(59)は出場予定だったNHK紅白歌合戦担当者との話し合いを再開させた。

最愛の娘を亡くした悲しみは深く「一睡もせずにご遺体に寄り添い続けていた」(関係者)という聖子は、立っているのもままならない状態なのに元夫の神田正輝(71)とツーショットで会見した。

なぜ自ら報道陣に対応し、紅白に向けた話し合いも始めたのか――。

まだ見えぬ悲しみの向こう側へ、聖子は歩き始めようとしている。

 
スポニチ本紙の取材では、聖子は沙也加さんの遺体が警察から葬儀場に搬送される20日昼すぎに札幌入り。

「沙也加さんは、降り積もる雪のおかげなのか外傷は見当たらず、本当に穏やかな表情でまるで眠っているようでした」(関係者)。

無言の愛娘の冷たくなった頬に何度も自分の頬をすり寄せ、覆いかぶさるように両手で何度も撫でながら泣き叫ぶ母親の姿は「筆舌に尽くし難い、これまで見たことのない聖子さんの姿だった」という。

 
悲報が伝えられたのは18日深夜。

毎年恒例の都内でのディナーショー終演後で、知らせが遅かったのは沙也加さんの事務所社長を務める実兄の配慮。

「もし、先に重体が伝えられていたら、とてもステージには立てなかった」と関係者。

20日の通夜後も聖子は一人、ホテルに帰らず、次の日の葬儀・告別式の準備に取りかかるまでの「20時間以上、一睡もしないまま沙也加さんのそばから離れようとしなかった」という。

 
泣き腫らした目は翌21日午後、荼毘(だび)に付された際に再び大粒の涙であふれ、正輝の胸で泣く場面もあった。

それが午後6時の日航機で帰京する直前の午後5時すぎ、斎場で正輝と会見することを決意する。

それはなぜか――。

「この後のことを考えると、親子3人が一緒にいる姿を皆さんにお見せできる機会はこれが最後だった。
最愛の子供を亡くした悲しみに暮れているのに、世の中の皆さんの応援があって生きてきた芸能人一家として、果たすべきことがあると考えるのが聖子さんの凄いところ。
だからあれは夫婦ツーショットではなく、沙也加ちゃんとの親子最後のスリーショットの会見だったんです」(関係者)

 
ピンクの位牌と骨箱は「一卵性」と言われた母娘を象徴する、ともに大好きな色。

帰りの機内で聖子はその骨箱を胸に抱きしめたまま「決して離そうとはしなかった」という。

 
大みそかの紅白歌合戦。

当初は財津和夫作詞作曲の新曲「私の愛」を歌う予定だったが、沙也加さんと2人で出場した思い出が深い紅白のステージで、どの歌をどんな演出でなら歌えるのか。

聖子と沙也加さんの思いを考えながら、紅白担当者は答えを探している。

 
≪89歳祖母も札幌入り≫

聖子の母で、沙也加さんを幼い頃から厳しくしつけてきたことで知られる祖母・一子さん(89)も札幌入りしていた。

幼い頃からおもちゃのマイクを手に歌うのが大好きだった孫に「歌手になるのだけはやめなさい」と言い続けた一子さん。

それは“偉大すぎる母”と比較され、つらい思いをしないようにとの思いから。

母娘で溝ができても常に沙也加さんを見守っていた。

 
≪気遣いの人「チーム聖子」に心打たれる≫

気遣いの人だと言われている聖子。

ディナーショーの19日の東京最終公演に続き、23〜26日のホテルニューオータニ大阪での全4公演が中止となったことに「申し訳ない」という言葉を繰り返していたという。

中止の判断を受けた同ホテル側は「大丈夫です。チーム聖子ですから」と快く対応したという。

関係者は「毎年のようにディナーショーをやっている聖子さんは普段からホテル側と良い関係を築いている。
チーム聖子という言葉に聖子さんも心を打たれたのでは」と話した。


▼画像
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20211225-00000084-spnannex-000-2-view.jpg


https://news.yahoo.co.jp/articles/16d05708bfeeeb3c20be4a026acfdb1bf8dab153
所長見解:そらな・・・

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9: (・ω・)/ななしさん
まさかこんな事になるとは思わなかったやろな

13: (・ω・)/ななしさん
悲撃のヒロインが似合うな

19: (・ω・)/ななしさん
聖子が交際反対してたのは、

1.沙也加15歳で30歳以上(?)既婚男と不倫→結婚しようとした時

2.16歳で20歳のヤンキー俳優石垣佑麿と交際した時(男は後に暴力事件で逮捕)

3.18歳で30歳男北野正人と同棲した時

ここまでよ

4.23歳で山崎育三郎と交際←聖子は反対してない(山﨑は安倍なつみと結婚)

5.25歳で田代万里生と交際←聖子も大歓迎

6.28歳で6歳年上のギタリストBillyと交際←聖子は反対してない

7.29歳で年上俳優と交際←聖子は知らなかったかも(俳優は社長令嬢と結婚)

8.30歳で村田充と結婚←聖子と既に絶縁していて結婚式に呼ばれたのは正輝だけ

9. 32歳で6歳年下のジャニーズJr.秋山大河と不倫交際←聖子は知らなかった?

10. 35歳で5歳年下の前山剛久と交際し結婚の話まで出るも捨てられ自殺←聖子は知らなかった?

離婚後、沙也加と正輝はずっと疎遠で、父娘交流は、この結婚式を機に再開されたらしい

聖子の反対は常識の範囲だと思うわよ?

858: (・ω・)/ななしさん
>>19
ごく普通の母ちゃんじゃん

49: (・ω・)/ななしさん
親より先に亡くなるのは親不孝ですな

50: (・ω・)/ななしさん
外傷少なかったのなら本当によかったなぁ…

57: (・ω・)/ななしさん
生まれーてはーじめーてーが耳に残ってる
死ぬ事は無かったのになあ
本当に母親が持つメタルの様な忍耐力が
もっと引き継いでいたらなあ
一人娘だし親にとって多分これは相当キツい

79: (・ω・)/ななしさん
会ってないとはいえ一人娘失うのは相当キツイと思う
物理的距離はあっても元気にしてるってだけで心の支えになってただろうし
このパターンで立ち直れる希望があるのは子沢山か孫がいる人

103: (・ω・)/ななしさん
仲違いしてたからこそ悲しみも深いだろうに
そういう事わからない人が多いね
一生後悔を抱え続けるだろうな
皆も仲悪い家族がいたら和解しといたほうが良いよ

104: (・ω・)/ななしさん
生きていればこその関係だったはず
まさか死んでしまえまではない

神田正輝と松田聖子はとてつもない十字架を背負ってしまったな
少し心配だ

105: (・ω・)/ななしさん
ばーちゃん亡くなって夜通し棺と過ごしたけど、
その後も墓参りもするし、仏壇に線香も上げるけど、
死んでからじゃなくて、生きてるうちにもっと話しとけばよかったと思うばかり
他県に住んでた時も欠かさず電話したり会いに行ったりしてたから、
話してる方だと思ってもそう

親子の絶縁状態が本当だったなら、今後どれだけ辛いだろうか



引用元: ・【芸能】松田聖子 あの日は一睡もせず沙也加さんに寄り添った