訃報

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    1: (・ω・)/ななしさん

    丘陵を切り開いて作られた都内有数の広さの霊園には、数日前に関東一円に降った大雪が一面に残り、寒風がわたっていた。
    霊園に隣接する斎場に、僧侶の読経が響く。
    葬儀に参列するのは、年配男性と中学生の女の子のたった2人だけ。
    一世を風靡した女子アナの野辺の送りにしては寂しいものだったが、それも彼女が最期まで貫いた強く固い意志だった。

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    元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが1月30日、52才で亡くなった。
    有賀さんの父の洋さんが、最期の様子を語る。

    「1月中旬、私が付き添って都内のA病院の6階に入院しました。
    それまで娘は体調不良を私に相談したこともなく、その病院にかかったこともありません。食が細くなって痩せてはいましたが、元気に仕事をしていたので、突然の入院に驚きました。
    私に入院の身元引受人になってほしいという娘からの急な連絡でした。

    1週間ほどして見舞いに行ったとき、点滴はしていましたが、見たところ元気になっていてすぐ退院だろうと安心しました。
    その数日後、30日の朝8時過ぎ、病院から娘が息を引き取ったと連絡がありました。
    急死でした。
    突然のことで、何が起きたのかわからないというのが本当のところです」

    有賀さんは昨年の秋、フジテレビ時代の元同僚に、「父親の介護が忙しいから、年内で芸能活動は休止する」と明かしていた。
    有賀さんは2年前に母親を亡くし、私は一人っ子だから、父親の介護が大変だと周囲に語っていたようだ。
    しかし、洋さんは介護が必要な状態には見えず、洋さんも「娘は実家にはめったに顔を出さなかった」と語る。

    この1、2年はテレビでも見る姿はかなり痩せていて、髪にはウイッグを使っていた。
    周囲が体調を心配すると、ダイエットに成功したの、カツラはラクなのよと、朗らかな笑顔で話していた。
    「親の介護で仕事を休む」というのも、周囲を心配させたくないという、有賀さんらしい優しい嘘だったのだろう。

    洋さんが続ける。

    「亡くなった後に看護師に聞いたところ、入院した時にはかなり衰弱していて、苦しい時には痛み止めを使っていたようです。
    それでも、最期まで前向きでした。
    病室では漢字検定の1級をとりたいと勉強もしていました。
    意識がなくなる直前には、孫のことを気遣っていたそうです。

    病気を患っていたことも、病名も、本人の強い意志で家族にも知らせたくないということでした。
    私自身も聞いていません。
    もちろん周りのかたにもお伝えしていません。

    娘は、“他人に迷惑をかけたくない”、その一心だったのでしょう。
    自分の意志ですべてをやってきた強さ。
    独立独行してきた人生だったと思います。
    私にはつらいとも、苦しいとも、一言も言いません。
    孫と暮らしていても、つらい様子はほとんど見せなかったようです。
    娘は強い信念を持って生きた。
    しかし、(その信念が)あるいは、災いしたのかもしれません」

    1月31日に通夜、2月1日に告別式が親族だけの密葬で行われた。
    列席したのは、洋さんと娘の2人だけだった。

    「風とともに去りぬ、そんな人生でした。
    その風は、追い風ではなく、向かい風だったように思います」

    洋さんは一筋の涙を流し、愛娘の短すぎる52年間を、そう悼んだ。

    http://news.livedoor.com/lite/article_detail/14273834/


    所長見解:立派だよね・・・
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    1: (・ω・)/ななしさん

    有賀さつきさん急死 52歳“女子アナブーム”火付け役 闘病隠して…

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    明るく奔放なキャラクターで「女子アナブーム」の火付け役となった元フジテレビアナウンサーの有賀さつき(ありが・さつき)さんが死去していたことが4日、分かった。
    52歳。東京都出身。
    スポニチ本紙の取材では1月末に他界。
    詳しい死因などは明らかになっていないが、昨年から闘病していたという。
    アイドルアナの先駆者らしく病気を公表せず、最後まで笑顔でテレビに出続けた。

    あまりに早い旅立ちだった。
    有賀さんは4日未明の日本テレビの通販番組「日テレポシュレ」にも昨年収録済みの映像で出演していただけに、衝撃は大きい。

    昨年10月、テレビ朝日「あいつ今何してる?」に都立九段高の同級生らと出演した際には、いつもと変わらない明るい表情を見せていたものの、青春時代を懐かしんで涙するシーンも。
    親友だった同級生に「アリ、頑張ってね」と言葉をかけられた時、歩んできた人生の思いが交錯したのか、人目をはばからず、大粒の涙を流していた。

    本紙の取材では、有賀さんは先月末に亡くなった。
    死因や葬儀日程など詳細は明らかになっていないが、元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏(65)には訃報が伝えられている。

    有賀さんは九段高校時代から、1メートル70の長身と持ち前の美貌で、同級生が「他校から見に来る生徒がいた」と伝説を語るほどのマドンナ的存在だった。
    88年にフジテレビ入社。同期の河野景子(53)、八木亜希子(52)両アナウンサー(当時)とともに「花の三人娘」と呼ばれた。

    中でも有賀さんはアイドルアナの先駆けとなった。
    華やかなルックスだけでなく、当時絶好調だったフジが掲げた「楽しくなければテレビじゃない」を体現するチャーミングな言動で絶大な支持を得た。

    その象徴となったのが“旧中山道事件”だ。
    91年に出演番組「上岡龍太郎にはダマされないぞ!」で、他局の女子アナが「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたことを取り上げた際「この“きゅうちゅうさんどう”ですよね」と自分も間違える想定外の展開にスタジオは大爆笑。
    女子アナのタレント化は民放全体に広がっていった。

    電撃退社もいまや伝説。
    92年にわずか4年でフジテレビを去り、フリーに転身。
    いきなりテレビ朝日の看板番組「ミュージックステーション」でサブ司会を務めるなど、フリーになった女子アナが芸能界でも活躍できる道を開いた。

    私生活でも奔放さを見せた。
    95年に芸能事務所社長との不倫が発覚。
    会見で「ご家庭があって申し訳ないという気持ち以上にどうしようもない愛を感じる」と発言し世間の注目を集めた。

    その後02年にかつて上司だった和田氏と結婚、同11月には長女をもうけるが06年に離婚。
    「夫婦だったけど上司だった」「彼とは言語が違った」の率直な言葉でまたも世間の度肝を抜いた。

    突然の悲報も衝撃。
    最後まで人々を驚かせる華やかな人生だった。

    ◆有賀 さつき(ありが・さつき)1965年(昭40)9月9日、東京生まれ。
    5歳から8歳まで米ニューヨークで育つ。
    フェリス女学院1年時の84年に、文化放送「ミスDJリクエストパレード」に出演し、放送業界に関わる。
    漢検準1級などの資格を持ち、昨年7月のフジテレビ「ネプリーグ」で「喇叭(らっぱ)」という漢字を正確に書いてみせた。

    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/05/kiji/20180204s00041000363000c.html


    所長見解:残念だね・・・
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    1: (・ω・)/ななしさん

    「ET―KING」いときんさん死去 38歳 昨年8月肺線がん公表

    大阪を拠点に活動する人気ヒップホップグループ「ET―KING」のリーダー、いときん(本名・山田祥正=やまだ・よしまさ)さんが31日、大阪府和泉市内の病院で死去した。38歳。兵庫県三田市出身。
    昨年8月にステージ4の肺腺がんであることを公表し、治療に専念していた。

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    「ギフト」「愛しい人へ」などのヒット曲を持つ浪速のブルースマンが病の前に力尽きた。関係者によると、1月中旬に夫人に心臓の痛みを訴えて病院に緊急搬送されたという。
    心臓に水がたまっており心肺停止の状態で、30分間の心臓マッサージで一時持ち直したものの、意識が戻らず家族が看護を続けていた。

    いときんさんは昨年6月の定期健診で異常が見つかり、7月に細胞検査を受けたところステージ4の肺腺がんと診断された。
    本人に自覚症状はなかったが、脳とリンパ節への転移も判明。
    8月に病気を公表した。
    抗がん剤治療は受けず、自宅療養などを続けていた。
    最近は免疫力を上げるため体力づくりにも励んでいたという。

    ET―KINGは、これまでになかった関西弁を使ったヒップホップで人気を博した。
    いときんさんはメインライターの一人でもあり、リーダーとしてグループを引っ張った。
    入院後も病室に音楽機材を持ち込んで曲を作った。
    4月25日発売の新アルバム「LIFE」で全曲のレコーディングに参加しており、闘病中も音楽への情熱を燃やし続けた。

    豪傑で酒豪、おとこ気にあふれる一方で、繊細で情に厚いことでも知られた。
    知人は「曲作りに強いこだわりがあった。歌詞の一つ一つに哲学があった。すてきな曲をもっと世に出してほしかった。本当に残念です」と肩を落とした。

    昨年12月28日に大阪で行われた全国ツアー最終公演が最後の公の場となった。
    1500人のファンを前に「力もらえました、生きるで。ありがとう」と感謝を口にしていた。
    音楽関係者は「あまりにも突然のことでショックだ。ライブに出たのはどうしてもファンに気持ちを伝えたかったのだと思います」と話した。

    99年にデビューしたET―KINGは2014年4月に活動を休止。
    同年9月には、上原多香子(35)の夫だったメンバーTENNさんの自殺という悲しみに見舞われたが、それを乗り越え、15年にメンバー6人で活動を再開していた。

    ◆いときん(本名山田祥正=やまだ・よしまさ)1979年(昭54)3月3日生まれ。
    兵庫県三田市出身。旧芸名はイトキン。
    高校卒業後、97年に大阪の福祉専門学校に進学。
    99年に大阪でTENNさん、KLUTCHとET―KINGを結成。
    その後にBUCCI、センコウ、DJBOOBY、コシバKENが加入した。
    2007年の「愛しい人へ」はデジタル配信で100万ダウンロードを突破するなど大ヒットとなった。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180201-00000004-spnannex-ent


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    1: (・ω・)/ななしさん

    楽天の星野仙一球団副会長が4日に亡くなったことが分かった。70歳だった。
    死因は明らかになっていない。
    現役時代は中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。
    計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の13年には自身初の日本一に輝いた。
    17年に野球殿堂入り。
    「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、巨人を倒すために野球人生をささげてきた男がこの世を去った。

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    突然の訃報だった。
    星野氏が息をひきとったのは4日。
    球界関係者によると「がんで闘病していた」という。
    昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていた。
    昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。
    2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と失われない野球への情熱を口にした。
    しかし、これが、最後の晴れ舞台となった。

    相手が強ければ強いほど、「燃える男」。
    現役時代のキャッチフレーズだった。
    その原動力が「打倒・巨人」。
    ドラフトでふられ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わった。
    中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦は歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げた。
    沢村賞を受賞した74年にはV10を阻止して優勝したが「日本シリーズは邪魔。
    俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした。「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは引退後も変わることはなかった。

    http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/05/kiji/20180105s00001173448000c.html


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    1: (・ω・)/ななしさん
     
    先月22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー、小林麻央さん(享年34)の夫で
    歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)が2日、ブログを更新。
    3日に初日を迎える「七月大歌舞伎」(東京・歌舞伎座)へ、悲壮な覚悟をつづった。

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    公演初日の前夜は「いつもならクタクタでボロボロなのですが」と前置きしたうえで、麻央さんを亡くした直後の今回は「クタクタでボロボロで心も身体も崩壊すると、越えるんですね、、何かを、何も感じない私がいる」とこれまでとまったく異なる状況だという。

    「ただただ己を信じて日々勤めるのみ、終わりのない一日を毎日過ごす精神力と体力が今の私にあるのか?ないのか?」と自問自答。
    「私自身も見物の気分です、もし倒れたらまぁそうだよね、しかたないよね、という具合に考えてくださいませ、、」と読者に呼びかけていた。

    サンスポ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170702-00000554-sanspo-ent


    所長見解:無理すんなよ・・・
    【【歌舞伎】海老蔵、悲壮な覚悟つづる 「もし倒れたらしかたないよね、という具合に考えてください」ってよwwwwwww】の続きを読む

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