自殺
【悲報】有吉弘行、休業説。
1: (・ω・)/ななしさん
上島竜平さん自殺の衝撃余波か
有吉弘行に休業説浮上
関係者、お笑い番組を仕切る精神状態ではない

「お笑い番組を仕切る精神状態ではない」
『ダチョウ倶楽部』上島竜平さん(享年61)の衝撃自殺の余波は、依然収まりを見せていない。
老若男女問わず大きな衝撃を受けていた
事務所の後輩でもある有吉は、猿岩石で大ブレイク後に急失速。
仕事がなくなった時期に、毎日毎晩と上島さんと飲みにいき、どん底生活を支えてもらっていたエピソードはあまりに有名。
「普段は頻繁に更新されるTwitterも数日間止まったままで、有吉を心配するコメントが多く寄せられていた。
結局、葬儀の2日後のラジオ生放送で、言葉を詰まらせながら対面した際の様子などを報告。
自らも放送事故と語るように半泣き状態での放送だったが、何とか気丈に明るく振舞っていた。
やはり死因が死因だけにショックは計り知れない様子」(お笑い事務所関係者)
一部では、こんな不穏な報道もあったようだ。
「有吉はあまりのショックに、このままコメントを出さないでスルーするという話もあった。
とてもじゃないがお笑い番組を仕切る精神状態ではなく、短期間だが多くのレギュラー番組収録を休むという情報も流れていたほど。
今はコロナ禍なのでMCが2週分くらい欠席するのは当たり前の世界だが、結局、有吉は何とか平静を保ち通常スケジュールをこなしていた。
奥さんの夏目さんがそばで寄り添ってくれていたのも大きかったのでは」(同前)
有吉にしろ、劇団にしろ、組長を飛び越して大きくなった竜平会の若頭。
悲しみをこらえて仕事をし、笑いを生み出すことが何よりの供養なのかもしれないが……
いろいろと無理だけはしないで頑張ってほしいものだ。
https://k-knuckles.jp/1/15192/2/
所長見解:まあな・・・
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【これはつらい】ダチョウ倶楽部、2人で再始動ってよ・・・・
【悲報】故・上島竜兵さん、死去2カ月前に目撃されていた現場での異変がコチラ・・・・
1: (・ω・)/ななしさん
上島竜兵さん「お酒飲んでも寝られない」と吐露…
死去2カ月前に目撃されていた“現場で放心状態”の異変

テレビで見るままの天性のエンタティナーを思わせるエピソードが本誌の取材に多数寄せられたが、上島さんが出演したあるCMの演出を担当した映画監督によると、2カ月ほど前、上島さんは気になる様子を見せていたという。
「撮影の合間、放心状態のようになって部屋の隅のほうでじっと目をつぶっていたんです。ヘアメイクの子が直しを入れようと近づくと、ハッとした様子で慌てて取り繕いながら、“最近寝つけなくてね、歳なのかなあ。
お酒を飲んで寝ようとしたんだけど、なかなか寝られないんだよ”と洩らしたそうです。
とても繊細な方だったので、いろいろなことがこたえていたのかもしれませんね」
この話を裏づけるように、昨今の世相について上島さんがあれこれと思い悩んでいたことを偲ばせる別の証言もある。
「リアクション芸人にはやりにくい時代です。
コロナ対策を徹底すれば芸のリアルさが失われるし、“熱湯風呂”もコンプライアンスの観点からできなくなってきている。
このご時世にダチョウ倶楽部の芸のおもしろさをどう伝えるか、上島さんは頭を悩ませていたようです。
4月におこなわれたイベントで、アクリル板越しですが久々に“キス芸”をやれたときは、嬉しそうでしたよ」(芸能事務所関係者)
本誌が初めてダチョウ倶楽部を特写した1994年の記事でも、自らの「イジられ芸」について、「いくら上手な芸人でも俺には敵わないはず」と自信を見せていた上島さん。
しかし、コロナ禍で彼もまた生きづらさにとらわれていたのかもしれない。
ところで上島さんといえば、故・志村けんさんとの交流がよく知られている。
今年3月、本誌の「寄港めし」に登場した際も、志村さんが行きつけにし、一時は上島さんと連れ立って毎日のように通っていたという東京・麻布十番の鉄板焼き店「三と十」を訪れて、「志村さんとの間では、“おネエちゃん”の話で盛り上がるけれど、最後はいつもお笑いの話になっていた」と懐かしそうに語っていた。
「志村さんの入院中は面会にも行けなかったので、亡くなった実感もなかったけれど、三回忌を経てようやく事実として受け入れられるようになったと上島さんは言っていました。
志村さんが亡くなったことで、コントをやる機会もなくなってしまうと、喪失感にかられていたようですね」(前出・芸能事務所関係者)
そんな上島さんは、前出の映画監督とくだんのCMの発表会で3月に対面した際、「上島竜兵が主演の映画ってどう?」と監督に話を持ちかけていた。
上島さんは、もともと俳優を目指して上京し、後にお笑いに転じたという経歴の持ち主。
監督が「ぜひ。いつならやれますか?」と逆に聞き返すと、上島さんは急に真顔になって、志村さんのことを語りはじめたという。
「本当は、志村さんのやるはずだった、『キネマの神様』の役がやりたかったんだよな。
俺が代わりに演じられたら、志村さんへの供養にもなったんじゃないかなって。
ま、そんな大役を俺が演じるのは無理だろうけどね」
そう言って寂しげに笑う上島さんを見て、「この人は本気で芝居がやりたいんだ」と思ったのだと監督は言う。
「上島さんが本当にやりたかった仕事は、個性的な俳優だったそうです。
遠藤憲一さんみたいな独特の味のある役者に憧れているとも言っていましたね。
コントで売れた人ですが、役者への思いが本物だとわかり、本気で実現させようかと考えていたんですが……」
前出のプロデューサーは、最後に上島さんと酒席をともにした昨年暮れのことを鮮明に記憶している。
「ずっと僕のことを“重役”と呼んでいました(笑)。
帰りのタクシーに先に乗せてくれて、振り返ると直角に頭を下げていました。
お礼のショートメールを送ると、『また行こうね』の一文と、慣れないからか不思議な絵文字が送られてきました。
その『また』がかなわなくなるなんて……」
「聞いてないよォ」の気持ちで喪に服しながらも、人々の心には優しい上島さんの姿が刻まれている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/57fd193909ef6094846ddbf1015546f4c4bbbbd4
所長見解:さみしいな・・・
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